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【東松山市】『鎌倉殿の13人』のひとり!比企氏にゆかりの土地めぐりをしよう

出典:photoAC


大河ドラマの『鎌倉殿の13人』のひとりである比企氏は、埼玉県の比企郡の由来にもなっています。

東松山には比企氏にゆかりのあるスポットがたくさんありますよ。『鎌倉殿の13人』の主要人物である比企氏のルーツを散策してみませんか?東松山市がある埼玉県の比企郡には、鎌倉の地名と同じものが複数存在します。

ドラマや教科書だけじゃなく、実際に訪れることでより当時の時代が分かりやすくなりますね。

東松山におでかけするときには、ぜひ参考にしてみてくださいね。



『鎌倉殿の13人』とは

2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、貴族社会の平安時代から武家社会の鎌倉時代へと変動する激動の時代を描いた物語です。鎌倉幕府を裏から支えた13人の人物の背景や思惑が、時に大河ドラマらしからぬコミカルに描かれ、好評を博しました。主役は源頼朝を支えた中心人物・北条義時で、小栗旬さんが務めました。

そして、この記事でご紹介する13人のひとり、関東地方の武将・比企能員(ひきよしかず)は佐藤二朗さんが演じました。頼朝を小さなころから支えてきた比企一族は、時代の激動に飲まれていきます。

そんな比企氏のゆかりの地が、埼玉県には各所にありますよ。




比企氏とは

比企氏と鎌倉幕府のつながりは、源頼朝の乳母を比企尼(ひきのあま)が務め、比企一族で頼朝を育てた縁から始まります。13歳の時に平治の乱で頼朝が流罪となったときも、比企尼は頼朝を20年支え続けました。そのため、頼朝は比企一族に大きな信頼を寄せ、鎌倉幕府を敷いたのちも重用し続けました。

比企尼の甥であった比企能員は、比企尼の実子が亡くなった後に比企一族の惣領になり、頼朝と一族を支えます。

頼朝の正妻であった北条政子が、長男の万寿(のちの源頼家)を鎌倉にある比企氏の屋敷で出産し、比企尼の三女と能員の妻が頼家の乳母になりました。のちに、能員の娘が頼家の妻となり、能員は、頼朝の死後に結成された13人の合議制のひとりとなったのです。

鎌倉幕府の重鎮となった比企氏でしたが、対立関係にあった北条時政により一族は滅ぼされてしまいます。




東松山にある『鎌倉殿の13人』のゆかりの地

扇谷山宗悟寺(せんこくさんそうごじ)

宗悟寺は天正20年(1592年)に比丘尼山にあった大谷山寿昌寺を、現在の地に移したものです。山号は扇谷山で、曹洞宗のお寺です。元々の寿昌寺は、源頼家に嫁ぎ比企能員の娘であった若狭の局が、頼家の位牌を持って逃げ延びて移り住んだ場所です。

現在の宗悟寺では、若狭の局が頼家を失った悲しみから逃れるために祀ったといわれる、蛇苦止(じゃくし)観音や、頼家の位牌が今でも残されていますよ。

近くに若狭の局にゆかりのあるスポット、比丘尼山や串引き沼もあるので足を運んでみてはいかがでしょうか?


名称:扇谷山宗悟寺(せんこくさんそうごじ)

住所:東松山市大谷400

料金:無料

アクセス:

 [電車]東武東上線「東松山駅」より車で15分、または東口から市内循環バス[唐子コース・大谷コース・大岡市民活動センター行]で「大谷交差点」より徒歩10分

 [車]関越自動車道「東松山IC」より車で15分

駐車場:あり

公式サイト:https://higashimatsuyama-kanko.com/sougoji/



城ヶ谷(じょうがやつ)

宗悟寺の東隣にある、比企氏の館があったといわれている場所です。伝承などではこの地に比企能員の館があったとされていますが、実際にはこれまで館跡などは発見されていません。

城ヶ谷は若狭の局に付き従った頼家の側近が移り住み、谷の西側に鎌倉の八幡宮を祀っていたとされています。


名称:城ヶ谷(じょうがやつ)

住所:東松山市大谷3452

アクセス:

 [電車]東武東上線「東松山駅」東口から市内循環バス[唐子コース・大谷コース・大岡市民活動センター行]で「大谷交差点」より徒歩10分

 [車]関越自動車道「東松山IC」より車で15分

駐車場:なし(徒歩10分にある大岡市民活動センターが使用できます)

公式サイト:https://higashimatsuyama-kanko.com/jougayatsu/



比丘尼山(びくにやま)

比丘尼山は、遠くから見るとまるで女性が横たわったように見える特徴的な形の山です。7世紀ごろに作られた横穴式墓地のひとつで、近くにある三千塚古墳の一部です。山の斜面には、40~50基ほどの墓が、3~4段になって形成されています。

そんな古墳の山に、比企氏に嫁いだ比企尼が夫の死後に尼になって、この山に庵(草ぶきの小さな小屋)を建てて住んだと言い伝えられていますよ。そして、夫の頼家を失った若狭の局が行きついた地といわれています。

駐車場が近くになく、アクセスもしにくい場所なので、少し長めの散策としてでかけてくださいね。


名称:比丘尼山(びくにやま)

住所:東松山市大谷

アクセス:

 [電車]東武東上線「東松山駅」東口より市内循環バス[唐子コース・大谷コース・大岡市民活動センター行]で「大谷交差点」より徒歩35分

 [車]関越自動車道「東松山IC」より車で15分

駐車場:なし(近隣の有料駐車場をご利用ください)

公式サイト:https://higashimatsuyama-kanko.com/bikuniyama/



串引き沼(くしびきぬま)

比丘尼山と三千塚古墳の間にある、大きな沼です。夫を失って嘆き悲しむ若狭の局に、祖母である比丘尼が、肌身離さず持っていた形見の櫛を捨てるよう諭し、櫛を投げ入れた沼です。

桜の名所としても有名で、鎌倉の修善寺から寄進された白い桜は「頼家桜」と呼ばれ、地域の人々に親しまれています。

こちらも道中の道幅が狭く、アクセスしづらい場所にあるので注意してください。


名称:串引き沼(くしびきぬま)

住所:東松山市大谷

アクセス:

 [電車]東武東上線「東松山駅」東口より市内循環バス[唐子コース・大谷コース・大岡市民活動センター行]で「大谷交差点」より徒歩30分

 [車]関越自動車道「東松山IC」より車で15分

駐車場:なし(近隣の有料駐車場をご利用ください)

公式サイト:https://higashimatsuyama-kanko.com/kushibikinuma/



巌殿山正法寺(いわどのさんしょうぼうじ)

正法寺は創建が養老2年(718年)で、通称・岩殿観音と呼ばれ地域の人々から親しまれています。比企能員が観音堂を創建して、主君・源頼朝の正妻であった北条政子のために千手観音を祀ったといわれています。

それ以降、戦火や火災にあいながらも、本尊の阿弥陀如来は鎌倉時代より、千手観音は室町時代より残っています。

また、比企の乱から逃げてきた比企能員の妻がこちらの庵でかくまってもらい、男児を産んだとの逸話も残っています。

坂東三十三観音霊場の第十番札所にもなっていて、古くから信仰を集めてきました。

境内には樹齢700年を超える大銀杏があり、黄色く色づく様子を見に多くの人が訪れますよ。


名称:巌殿山正法寺(いわどのさんしょうぼうじ)

住所:東松山市岩殿 1229

料金:無料

営業時間:受付 夏期/8:30~17:00、冬期/8:30~16:00

アクセス:

 [電車]東武東上線「高坂駅」西口より川越観光バス[鳩山ニュータウン行]で「大東文化大学」より徒歩2分

 [車]関越自動車道「東松山IC」より車で15分

駐車場:あり

公式サイト:http://iwadonosan-shoboji.org/



まとめ

出典:photoAC


東松山には、鎌倉時代に滅亡してしまった比企氏にゆかりのあるスポットがたくさんありますね。千年も昔の鎌倉時代より脈々と続く、比企氏ゆかりの地に家族でおでかけしてみませんか?

昔から大きく変わったもの、今も昔も変わらないもの、親子で語りながら散策してみるのもいいですね!

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